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アフリカの旧宗主国を覚える方法!植民地の地図にまとめてみた!

 

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どうも、ひろです。

今回は、アフリカの旧宗主国について詳しくみていきたいと思います。

アフリカの植民地は難しいな。
地理が苦手 たろう
地理が苦手 たろう
理系地理マスターひろ
理系地理マスターひろ
植民地は一回覚えると、応用が効くからこの記事でマスターしよう!

アフリカの多くの国は、欧米の植民地になっていた時代があったということは知っていると思います。

しかし、具体的にそれぞれの国旧宗主国を完璧に覚えられているという人は少ないのではないでしょうか。

そんな方のために、今回は地図にまとめながら、わかりやすく解説していきます。

旧宗主国が分かれば、言語の分布や宗教の分布なども覚えやすくなるので、気合を入れて覚えてしまってください。

アフリカの旧宗主国地図

第一次世界大戦前の 1914年における、アフリカの植民地を地図にまとめてみました。

 

こうしてみると、ほとんどのアフリカ諸国はヨーロッパに植民地支配を受けていたことがわかりますね。

特に、フランスイギリスの植民地が多くなっている印象です。

旧宗主国代表的な現在の国を表にまとめてみましょう。

旧宗主国 現在の国名
フランス
  • モロッコ
  • アルジェリア
  • コートジボワール
  • マダガスカル
イギリス
  • エジプト
  • ガーナ
  • ナイジェリア
  • ケニア
  • ザンビア
  • ボツワナ
ドイツ
  • カメルーン
  • タンザニア
  • ナミビア
ベルギー
  • コンゴ民主
イタリア
  • リビア
  • ソマリア
スペイン
  • 西サハラ(モロッコ南部)
ポルトガル
  • アンゴラ
  • モザンビーク
独立国
  • エチオピア
  • リベリア
  • 南アフリカ

南アフリカは、1910年にイギリス帝国内の自治領として自治を確立したため、1914年の段階では独立国という分類になっています。

しかし、実際に今の南アフリカ共和国となったのは1961年のことです。

それ以降も、アパルトヘイト(人種隔離政策)が続いていくため、決して自由な国というわけでもなかったのが南アフリカです。

ヨーロッパ各国のアフリカ分割

アフリカの植民地を考える上では、ヨーロッパがどのように植民地支配を進めていったのかを考えると簡単に理解できると思います。

 

17世紀ごろまで、アフリカは未知の土地ということで「暗黒大陸」と呼ばれていました。

しかし、ヨーロッパ人が探検していくにつれて、だんだんとアフリカについてわかるようになってきます。

資源も豊富で植民地にするにはちょうど良いのではないかと思うわけです。

そこで、ヨーロッパ各国は、競うようにアフリカの植民地化を進めていきます。

 

そのような流れの中で、具体的な欧米各国の動きを見てみましょう。

フランス

フランスは、アフリカを横方向に植民地にしようとします。

アフリカ横断政策と呼ばれています。

モロッコアルジェリアを占領し東に進んでいく部隊と、マダガスカルジプチを占領し西に進んでいく部隊の両方向から攻めました。

横方向に植民地を作れば、線路を引くことができ、マダガスカルの資源をジプチから電車に乗せて、フランスのすぐ近くまで運ぶことができるからですね。

イギリス

一方のイギリスは、すでに南アフリカのところにケープ植民地を持っていたため、エジプトを占領して縦方向に植民地にしようと考えます。

そのまま、植民地化を続けていくと、フランスとイギリスがばったり衝突してしまいますよね。

その予想通り、スーダンのあたりでぶつかります。

しかし、フランスは、その当時ドイツ(当時はプロイセン)に戦争で負けていて、イギリスと戦争している場合ではないということで、スーダンイギリスに譲ります。

このような背景知識があると、フランスとイギリスが植民地にした国が大まかにわかると思います。

その他の国

次は、フランスとイギリスの植民地になっていない地域を覚えていきましょう。

ドイツ

ドイツは、ギニア湾にあるカメルーンなどを支配します。

ベルギー

ベルギーは、内陸のコンゴ民主を植民地としています。

これは、当時のベルギーの王レオポルド2世の私有地として領有されました。

イタリア

イタリアは、アフリカの東端ソマリアエリトリアを占有します。

そして、エチオピアにも手を出しますが、エチオピアの抵抗により、エチオピアを獲得には失敗してしまいます。

さらに、リビアも獲得します。これは、地中海を挟んでイタリアにとても近いので納得できますね。

アフリカの独立国

さて、アフリカのほとんどすべての国がヨーロッパ各国の植民地になってしまいましたが、2カ国だけ植民地支配を免れた国があります。

それが、

  • エチオピア
  • リベリア

の2カ国です。

この2カ国がどのような状況だったのかを簡単に解説します。

エチオピア

ソマリアやリビアといった国土の多くが砂漠の国を植民地にしてきたイタリアは、是非とも豊かなエチオピアを領有したいということで、エチオピアに侵略します。

しかし、エチオピアの周辺国を支配していたイギリスやフランスは、イタリアが入ってくるのが気に食わなかったので、エチオピアに武器を売ります。

そうすることで、エチオピアを緩衝地帯にしようとしていたのです。

そうした、武器の援助や、エチオピア特有の複雑な地形によって、エチオピアはイタリアを退け、エチオピアは独立国として存在し続けることができたのです。

リベリア

エチオピアと並んでもう一つ、アフリカには独立国がありました。

それが、リベリアです。

リベリアは、アメリカの南北戦争の後に、解放された奴隷が戻ってきて作った国家なので、独立国とはいえアメリカの保護国のような立場でした。

なので、さすがの欧米列強も、アメリカが絡んでくると手が出せなかったという事情があります。

ちなみに、奴隷が解放されて自由になったということで liberty(自由)という意味に似た国名になっています。

植民地支配による影響

現在は、多くの国が独立を果たしていますが、長い間植民地支配にあっていたことで、多くの影響が今でも出ています。

テストでも問われることがあるので、どのような影響が出ているのかを軽くお話ししておこうと思います。

言語・宗教

植民地支配の影響の一つとして、言語宗教があります。

植民地ということで、本国からやってきた人と意思の疎通を図るためにも、本国と同じ言語をしゃべらされます。

また、改宗させられる場合も多く、今でも当時の影響が残っています。

国境・内戦

アフリカの地図を見てみると、直線的な国境が多く見つけられると思います。

これは、欧米各国が植民地支配するときに、勝手に引いた線が今も利用されているからです。

自然の山や川などによる国境ではなく、事務的に作った国境なので、民族の分断などが起きています。

その結果、分断された民族が独立しようとしたりと内戦が多く起きるようになってしまっているのです。

貧困・差別

元々、植民地ということは、資源を本国に持ち帰るような産業が行われていました。

その結果、アフリカの国は一つの商品に頼るようなモノカルチャー経済になってしまい、貧しさにもつながっています。

また、元々いた民族と、新しく入ってきた民族の間で差別的なことが起きてしまったりしています。

アフリカの旧宗主国まとめ

いかがだったでしょうか?

今回、歴史的な背景に重点を追って見てきましたが、どのような歴史を辿ってきたかを理解することができれば、比較的簡単に覚えることができるようになりますね。

というわけで、アフリカの旧宗主国について重要なポイントをまとめておきます。

まとめ

欧米の列強がアフリカのほとんどの国を植民地支配していた。

フランス 横方向に支配
イギリス 縦方向に支配
ドイツ カメルーン
ベルギー コンゴ民主
イタリア ソマリア・リビア
独立国 エチオピア・リベリア

言語・宗教・国境・内戦・貧困・差別と行った様々な問題が残っている。

アフリカの状況を考える上で、植民地支配の影響は無視することができません。

今回の記事を読んで、しっかり頭に入れてしまいましょう。




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